おもちゃ屋店主のacoです
精神保健福祉士×保育士の店主が綴る 仕事と子育ての話
子育てのこと

満たされなかった思いはどこに行く?

こんにちは

にじのおもちゃ屋レーゲンボーゲンの店主acoです。

最近、ニュースをみているとざわざわすることがとても多くて、自分でも戸惑っています。

ここ数日ずっと心に残っているのは、車内放置によって幼いこどもが命を落としてしまったニュース。

ネットでもずいぶん話題になっていたし、コメント欄もかなり荒れていました。

絶対に起こってはいけない事件だったと思います。

母親が近くにいないというだけで不安になる年齢の子どもたちが、暑い車内でどんな思いだったろうと考えると、本当に、本当に胸が苦しくなります。

その一方で、母親が誰かから優しくされたいという、満たされない気持ちをずっと抱えて生きてきたのではないかと考えて、とても悲しく思いました。

年齢的には大人。

役割としても大人。

だけど、ずっと誰かに慰めてもらいたくて、優しくしてほしくて、受け入れてほしくて仕方ないまま生きてきたなら、とても苦しかったのだと思ってしまう。

ほんの少しの時間でも、自分に優しくしてくれる人に会いたい、一緒にいたい、もっともっと…そんな気持ちがあったんじゃないかなって、考えてしまったんです。

本人は、そこまで自覚していなかったかもしれないし、実際どんな考えだったのかはわからないけど…。

大人になる前に、異性や恋人ではなく、こどもを保護するべき大人から、優しくされて、受け入れられる経験がたくさんあったら、こんな悲しい事件にならなかったのでは?と思えて仕方ないです。

そして、実は大人になっても、誰かから慰められて優しくされて受け入れてもらいたい人は、大勢いると思っています。

私だって、誰かから優しくしてほしい、誰かに自分の気持ちを分かってほしい、と枯渇してしまうことがあります。

枯渇しているときは、やっぱり誰かに優しくすることが難しかったり、ついイライラしてしまったりするし…。

それでも、私がなんとか子どもへの責任を放置せずに、一緒に暮らせているのは、私が我慢強いわけでもなく、愛情深いわけでもなく、子ども時代にちゃんと大人から優しく受け入れてもらう経験があったからなんだろうなぁと思います。

今まで、それを意識して子育てをしたことはなかったけれど、やっぱりそういうことなんだろうなぁと思います。

大人って私が困っていたら助けてくれるんだ、私が笑ったら喜ぶんだ、私が泣いたらどうにか笑顔にしようとあたふたするんだ、私が悪い事したら怒るんだ、私が喜ぶためなら自分がすきなおかずをくれるんだ、みたいな事がたくさんあったんだろうなと思い返しています。

親や家族だけでなく、近所のおじちゃんおばちゃん、先生たちが、言葉や行動で子ども達に示す態度を私の中に残してくれた。

それはとってもありがたいこと。

だけど、そういう経験がなかったとしたら、やっぱり長年“誰かから慰められたい、優しくされたい、受け入れてもらいたい”という欲求が、ずっと満たされずに大人になってしまって、“責任・役割”というものだけを背負うことになってしまう。

そして、今の子ども達がそんなふうに成長したら悲しいなぁって思ったんです。

大人たちが、自分自身のことばかり考えていて、周りにいる子どもたちのことを見ていない、むしろ邪魔者扱いする…そんな環境で育ったこどもが、大人になって人に優しくしてあげられるわけない。自分を大切だって思えるわけない。

今日私がこどもの顔も見ずにスマホをいじりながらしてしまった会話。こどもの目にはどう映ったんだろうって、とても反省しました。

私にとっては、大切な仕事の話だったとしても、子どもたちからしたらスマホをみているのは、仕事なのか買い物なのか、ただの友達との会話なのかわからない。それに、ママはあなた達より仕事が大事って、そういうメッセージを態度で示しているよう。

今日私がこどもの顔も見ずにスマホをいじりながらした会話。

たかが1回。でも、“1回くらい大丈夫”と10回積み重なったら。100回積み重なったら。

もちろん、スマホをみながら会話したら、それだけでこどもが満たされない大人になるということではないと思います。

それでも、こどもは「私の話をきいてほしい」という思いがあって私に話しかけてきたはず。

その思いが、私の生半可な返事で半分しか満たされなかったとすれば、その満たされなかった半分の思いはどこへ行くんだろう。

きっとどこへも行けずに、ずっと残っていくんじゃないかなぁ。

そう思ったら…

今日のあのスマホ見ながらの会話、キャンセル!!なしにしてください!やり直します!

でも、実際は時間を巻き戻すことはできないから。

だから、今日眠ってまた目を覚ましたら、そこからやり直そう。

昨日満たしてあげられなかった半分を、取り返しに行こう。

私は、今までの経験のなかでたくさんの人から優しさをもらってきた。そんなことすら時々忘れちゃうけど、ずっと誰かが助けてくれたから、ここに居られるんだもの。

それを、次は私が子ども達に繋げていかなくちゃ。

もらった優しさを自分だけのものにしているのは、ケチんぼ。

きっと気付けばいつからだって、やり直しできるはず。

親が本当にそのことに自覚すれば、子どもはそこから親との関係をまた作っていってくれる。

こどもの愛情は、本当に深い。親の方が、いつだって許されていると感じます。

さぁ、だから今日は一旦眠って。

明日からまた、こどもの「ママに○○してほしい」に寄り添えますように。