おもちゃ屋店主のacoです
精神保健福祉士×保育士の店主が綴る 仕事と子育ての話
おもちゃ屋さんへの道

本音を言うのが怖かったわけ

こんにちは。

にじのおもちゃ屋レーゲンボーゲンの店主のacoです。

みなさんは、普段どれくらい本音が言えていますか?

もちろん、相手による、場所による、ということはあると思いますが、本音で話ができる人がいるってとても心地よいですよね。

そんな私、実は今まで本音で話をするのが苦手でした。

つい「こういう反応を求められてる?」「こういう話をしておいた方がいいのかな」などと、勝手に先回りして、自分が本当に思っていることよりも、その場の空気で話をしてしまうことが多かったかなと思っています。

だからこそ、本音で話せる友人との時間は、私にとってオアシスのように心地よい時間。

やっぱり本音を否定せずに受け止めてくれる人って、とても大切です。

そして、そんな私。

今、起業について学ぶ中で、本音を話すこと大切さを教えてもらっている最中です。

本音が話せることが大切なのはなんとなくわかっている。

だけど、それは特定した少人数にだけであって、たくさんの人と本音で話なんかしたら、大変なことになってしまうんじゃないかと、漠然とした不安があったんですよね。

『本音と建て前』という言葉があるように、世の中は『建て前』でできていると思っていたし、今もそのマインドは抜けていないのだけど、“本音を話しても大丈夫なんだ、むしろ本音を話したほうが自分の幸せの近道なんだ”と学べたことは、本当に大きな収穫です。

私と同じように“本音は話すべきじゃない”と漠然と思っている人、結構多いと思うんです。

もしかしたら、本音を言ったことで傷付いたり、悲しい思いをした経験があるのかもしれません。

それは、馬鹿にされる、意見を否定される、間接的に批判したりジャッジしたりする場面を目撃する…そんな数々の経験から刷り込まれているように感じます。

長い時間のなかで、自分の本音をしまい込んでしまう。

本当は、やりたいことも、思っていたこともあったはずなのに、本音をしまい込んでいるうちにわからなくなってしまう。

本音は恥ずかしい事だと思ってしまう。

私は、そうでした。

でも、本音ってなにも恥ずかしいものではなかったのです。

私が今学んでいる『風の時代の新しいはたらきかたの学校』というところで、共感編集者という肩書で教えてくれているともみさんが

「本音って、素敵な言葉ですよね。本当の音色って書いて本音、美しい言葉」

とおっしゃったのは、私にとって静かなる衝撃でした。

本音を美しいと思ったことなど、私にはなかったのです。

本音は汚いもの、本音は隠すべきもの、その真逆の感性に触れて、私は本当に驚きました。

そして、ともみさんは、誰よりも私たちの『本音』を受け止めて、認めてくれる人でした。

『本音』について、ジャッジしたり批判したり否定したりせず、いったん全部受け止めてくれる人。

このともみさんが私の人生に登場したことは、本当に大きな意味を持っています。

ただ、いくら『本音』を言っても大丈夫、と思っても、私にはもう一つ大きな壁がありました。

それは、『本音を自分自身が認められない』という壁。

実際に本音を話すために、一番勇気が必要だったのは、自分自身でその本音を認める作業だったんですよね。

自分の本音を探ってみると、「これってすごい自己中かも」「こんな自意識過剰なことを言っていいのだろうか」そんな思いが邪魔をして、なかなか本音にたどり着けないのです。

例えば、「いつか事業が成功したら、あの雑誌のインタビューを受けてみたい」とか。

書いてみると、どうってことない夢なのに、「これで事業に失敗したら、めっちゃ恥ずかしい」「口ばっかりで、全然結果ともなってないじゃん」という妄想の悪口が自分からどんどん湧き出てくる。

「雑誌に出るということは、自分がそれだけの実力もあって、人さまに見せられる外見だと思ってるの?めっちゃイタい奴」「謙虚さがないねぇ」「なんか偉そう」「偽善ぶってる」「母親のくせに、育児じゃなくて仕事優先してる」「意識高い系?」「キラキラのインスタ映えばっかり考えてる人なんじゃないの?」という悪口まで聞こえてくる始末…笑

私の内面は、いったいどれだけの悪意で覆いつくされているんだか…

おそらく、今まで出会った人の悪意ある言葉を、自分のことのように受け取ってきてしまったんですね。

そして、それが社会のルールや一般常識だと思い込んで、その感覚から自分が外れているのも怖かった。

だから、自分の本音=社会から批判されるべき事柄。

つまり、そんな本音は本来考えてはいけない事、って思い込んでいました。

それでも、実験的に「例えば、こんな夢って変ですかね?」とおそるおそる言葉にしてみたら、「素敵だと思う!」「そんなふうに思えるなんて、ちょっとうらやましい」なんて言葉をいただけたんです。

自分の本音ってなんだろう?本当に心地いい事ってどんなことだったかな?って考えながら、勇気をもって言葉にできたとき、自分が思っていた状況と全く違う道が開けんたんですよね。

そして、「だったら、こういう方法があるよ!」「こんな人と繋がってみたら?」と、すごく自然に方法を教えてもらえたりしたのです。

あれれ?私の本音ってイタくないです?大丈夫です?って、心配ももちろんぬぐえないのですが、実際に話してくれる人の表情や仕草から、「本当にいいと思ったことを教えてくれたんだ!」と感じることができて、それはそれは幸せな感謝の気持ちがわいてきました。

本音を話すことで、私にとってのオアシスはどんどん広がっているのです。

本音って、隠さなくても傷付かない。

本音って早く言えた方が、目的地まで早く行ける。

そんなふうに、実感しています。

今まで、本音で話すことが怖かった人にも、この心地よさをぜひ味わってほしいなと思っています。

もし、私と同じように自分自分の本音を認められずにいたり、本音がわからなくなっていたら、まずは心地よい空間のなかで、ゆっくりと自分の本音を見つめてみてほしいなと思います。

ひとつモヤモヤしていた出来事から、どうしてモヤモヤしたんだろう?どうしたかったんだろう?って考えるのも一つの方法。

こんな風になったらいいな~でもきっと○○だからダメだよね~という出来事から、本当に○○だからダメなのかな?って疑ってみるのも一つの方法。

ぜひ、心地よい空間で、リラックスした状態で考えてみてくださいね。

みなさんの本音を受け止めてくれる場所は絶対にあるし、そういう場所が欲しい方は、ぜひこちらにコメントしてくださいね♪

みなさんの本音によって、素敵な道が開けることを願っています。