おもちゃ屋店主のacoです
精神保健福祉士×保育士の店主が綴る 仕事と子育ての話
子育てのこと

母として子どもを見られない時

こんにちは。

にじのおもちゃ屋レーゲンボーゲンの小池です。

プロフィールにも書いているのですが、私には二人のこどもがいます。小学生と幼稚園生の組み合わせなので、二人が家にいるとにぎやか。

でも、実は私は育児が得意な方ではありません。

保育の勉強はしたし、育児書を読むのも好き、こどものことも好きだけれど、私自身が未熟なせいなのか、“母親”としてはできない事が多いように思えてしまいます。

「ほかのお母さんたちはもっとこどもに~してあげるんだろうな」

「お母さんだったら~するべきなんだろうな」

そんなことを考えて、落ち込むことも今までたくさんありました。

「ママー」と呼ばれるたびに、自分の仕事を邪魔されているように感じることだってあるし、そうっと夜中に一人で抜け出してしまいたくなる日もあります。

24時間365日、母親としての役割を全うすることが、私には難しい。

でも、そんなときにいつも思い出す言葉があります。

「母親としては、この子のことを愛せないかもしれないけど、人生の先輩としてなら何かを教えてあげられるかもしれないと、思ったんだよね」

これは、私が十数年前に出会った大先輩の言葉。

その先輩は、心理学に詳しくて、いつもこどもの気持ちを尊重するとても優しい人だったので、「母親としては、この子を愛せないかもしれないけど」という言葉に、とても衝撃を受けたのを今でも覚えています。

ご結婚をされて、お子さんが生れた、ちょうどそのタイミングで配偶者の方とトラブルがおきてしまい、それぞれ別の道を歩むことにされたと、おっしゃっていました。

お子さんは生まれたばかり。

先輩は、その子を可愛いと思えなかったそうです。

でも、「人生の先輩としてなら、この子にできることがあるんじゃないか」と思ったと。そう思ったら、一緒に生活していけると思った、とおっしゃっていました。

今はそのお子さんもとっくに社会人となっている年齢。

お子さんとの関係は、とても良好だったと記憶しています。

先輩は、いつもお子さんの写真を持ち歩いていて、「最近はこんなことがあった」「次の週末はこどもの行事で~」という話をよくしていました。

お子さんが生れたばかりのころ、そんな大変な思いをされていたとは思わなかったし、そんな思いを私に話してくれたことにも、感謝をしています。

「母親」という役割が本当に大きくて、私自身もその責任の大きさから時々疲れてしまうこともあります。

でも、その話を聞いてから、たまには「母親」ではなくて「人生の先輩」としておおらかに子どもを見守る時期があってもいいのかもしれない、と思うようになりました。

私の中では、「母親」って保護者であり教育者であり責任者である、そんなイメージがあります。

日々の子どものお世話をして、手伝いをして、成長を考えて、体調に配慮して、遊び相手になり、話し相手になり、将来の心配をし、お金の心配をし、社会からのちょっと冷たい視線にも気を遣い…

「母親」だから、やらなければいけない、やるべきだ、って無意識に思っていることって、あると思うんです。

もちろん、「母親」は、かけがえのない役割で、“人を育てる”という最も重要な、誇るべき役割なんですけどね。

でも、そででちょっと疲れてしまうときがある。

だから、そんな時はその先輩のように、少しだけ違う役割になったつもりで、こどもとの距離を変えてみるのもいいな、と思います。(もちろん、違う役割と言っても、こどもの命を守る事や、こどもの体や心の成長を助ける事は大前提ですが)

人によっては、「人生の先輩」ではなくて「親戚のおばちゃん」だったり「親友」だったり、「兄弟」や「父親」だっていいと思うんです。

自分の中で「こんなふうにこどもと接することができたら楽しそう!」という人がいれば、その人の役割を真似してみるのもおすすめです。

私の場合は、自分を「ちょっと年の離れた兄弟」になったつもりで接すると、ちょうどいい時があります。

きっと「母親」だったら「子どもの遊びに付き合ってあげなきゃ」という気持ちになってしまうところ、「兄弟」と設定すると同じ目線で楽しく遊べたりする。

結局やることは変わらないのに、それだけで楽しくなるのは、不思議です。

「母親」が悪い・嫌だ、ということでは、ないんですよ。

ただ、その「母親」という言葉に疲れてしまうことがあるなら、自分の心の中に、“ちょっと違う役割で見守ってみようかな”という方法も試してみてくださいね。

少しでも、気持ちが晴れることを祈っています。